<一部変更>わたあめ日記へようこそ!
2010年12月以降のブログについてみなさまへのお願いを《コチラ》に書きましたので
どうぞお読みください。準備が出来次第お返事させていただきます!
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パーティ 
ひなとゆいの誕生日のお祝いは、旦那実家と私実家とで日にちをずらし、計2回してもらった。

先に旦那実家でお祝い。
1歳の誕生日と言えば、一升餅。

ひなゆい蟇目もちせおい
「さぁ、やるぞ!」


このハチマキはじいじ、ばあばの手作り。
「やっぱりハチマキした方が張り合いがあると思って!」と、前日の夜中に
二人で作ってくれたらしい。

ゆい蟇目もちせおい


ゆい選手、お餅を気にしない滑らかな走り。

実は、一人一升はさすがに重いだろうということで、「二人で一升」プラン。
だから、パワーのあるゆいはグングン進む。



ひな蟇目もちせおい


ひなもがんばっている。
でも、餅が左に滑り落ちれば、左に曲がり、右に滑り落ちれば、右に曲がり、
全く自分の意思とは関係なく、進行方向を餅に操られていた。


そして、お餅を背負った後は、ケーキタイム。

ひなゆい蟇目でケーキ


早く食べたいと半べそ。

このケーキは私がホットケーキとヨーグルトで作ったもの。
歌を歌ってから、食べさせた。

旦那実家では、お餅もじいじばあばがついてくれて、手作り感たっぷりの
あったかーいお祝いだった。






数日後、私実家。

浜のもち


私の母が、まめしぼりで巾着リュックを作ってくれていて、それにお餅をいれて
背負った。



浜のケーキ


またケーキを作ろうとしたら、「ケーキ買ってたから、ほら。」と出してきてくれた、
立派な大人用ケーキ。


でも、「いーからいーから、舐めさせてやれー」という外野からの声に

ひなゆいと浜ケーキ


じゃ、と手をだすゆい。



ごちそう。

浜の料理


私の実家の付近には、親戚がたくさん住んでいるので、みんなでお祝いをした。
だから、料理もたっくさん。
母が、朝から作ってくれたもの、親戚のおばちゃんが持ってきてくれたもの、
とにかくいっぱいあってお腹一杯。



ひな浦霞


「1歳になったからいいよね。」
とじいじが飲んでいた日本酒ビンに喰らいつくひな。


ゆいアヒルに乗る


「あたし、1歳になったからあひるの免許取ったんだー」
と特大あひるにまたがるゆい。




二回もお祝いしてもらえてよかったね。
みーんなに感謝しようね。



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1歳のお誕生日 
この子達の存在を初めて知って手が震えてから、もうこんなに時間が過ぎたんだと
不思議な感じがした。

この日まで、何度「なんでよりによってうちに双子がいるんだろう。」と思った事か。
もちろん、いい意味ではなくて。

双子のお世話はとても大変だ。
特に新生児から3ヶ月くらいは、もう落ち込んでしまうほど大変だった。
「子供がいて、毎日が幸せです。」なんて口が裂けても言えなかった。

でも、最近思う。
この子達の笑顔が私の宝物だと。
とても月並みでありふれた言葉だけど、本当にそう思う。

それは、1歳に近づくにつれ、だんだんコミュニケーションが取れるようになったこと、
毎日違う表情で、毎日違う成長を見せてくれるようになったこと、
そして、私たち親をとても必要としていることをストレートに表現してくれること、

こんなことが要因だろう。


あの時、もういやだって投げ出さなくて良かった。


私は、周りの人にとても助けられた。
私のお父さん、お母さん、お兄ちゃん、旦那のお父さん、お母さん、両方の親戚の人々、友達、
近所の人、そして、旦那さん。

その人たちがいたおかげで、陽生と結生はすくすくと育った。

みなさん、ありがとう。

これからもまだまだ手のかかる二人だけど、目一杯の愛情で
育てていこう、そう心を新たにした日だった。



ひな誕生日アップゆい誕生日アップ
11ヶ月 

ひなゆい11ヶ月
「11ヶ月記念写真」


外はすっかり冬の冷気が立ち込めていた11月。
予防接種のため病院へ行くときの一枚。
上着の上にスリーパー。ありえない格好だけど、寒いほうがかわいそうだから我慢よ。

うちから病院までは徒歩3分。
小児科も内科も歯科もある。家族でお世話になっている。
病院が近いって、安心。



snap_miffio1210_20091214237.jpg


11月は旦那の誕生日がある。
甘いもの大好きな旦那のために、6.5号のケーキを用意した。
そのケーキの前でパチリ。
私たち親は、いつも似てないと思っていたひなとゆいの顔が激似。



ゆい11ヶ月寝癖


昼寝起き。
その髪すごいね、ゆい。


ひな11ヶ月少年


旦那の帽子をかぶるひな少年。
ばあさんになったり、男の子になったり忙しいね。


ほんの少しだけ自力で立つように。
ばいばーい、はーい、あわわなどなど人まねで芸をする。

ただ、人見知りが結構あって、男の人と、ご年配の方が苦手。
せっかく優しく声を掛けてくれた人に号泣する始末。

エレベーターの中でスーツ姿のおじさまに「あらー、うちのこも双子だよ。こんにちわー。」と
優しく話しかけられて二人で号泣。
他の乗客もいたので、おじさん気まずい気まずい。
「すいませんっ!すいませんっ!」と平謝りした私。

あれはあせったなぁ。
10ヶ月 

ひなゆい10が月
「10ヶ月記念写真」



10ヶ月になると、ずりばいがハイハイに移行した。
と思ったら、ゆいがひょいとつかまり立ちをした。

ゆい10ヶ月 つかまり立ち
「できたよ。」




ひなゆいダブルつかまり立ち


ゆいができるようになって間もなくひなもつかまり立ちするように。
お互い刺激しあってるよう。



そして、知恵も付いてきた。

ひな10ヶ月欲張り


右手にペットボトル、左手にはビーチボール、でもおもちゃも持ちたい、と
考えた末、くわえたひな。


ゆい10ヶ月「はい」
「はい!!」


ピンボケなのが残念だけど、まーきれいな挙手。
「ゆいちゃーん」と呼ぶと手を挙げるように。


ひな10ヶ月 テレビの前で正座


ここ岩手の冬はとても寒いので、風邪を引かないようにとベストを着せた。
その格好で、正座。
ひなばあさん。



ひなゆい10ヶ月アップ





10ヶ月になって、はいはいも様になると、入ってきて欲しくないところにも入ってくるように。
そこで、キッチンの入り口にベビーゲートを設置。
動き回ると大変だよーって周りにおどされてきたけど、
動き始めるのが遅めだったので、うれしさのほうが勝ってた。

大変だけど、楽しさも増えてきて、充実してきた日々。




9ヶ月 

ひなゆい9ヶ月
「9ヶ月記念写真」


ひなもずりばいが出来るようになって、部屋の中を移動できるようになった。
だから、こんな所から出てきたり、

ひなゆい9ヶ月 テーブルの下から



ひなゆい9ヶ月のぞき


寝せたつもりが覗かれていたり。

毎日がまた少し変化していた。



食事のときに、ためしにフォークにバナナを刺して渡したら、
いとも簡単に食べたのも驚きだった。

ひな9ヶ月フォーク


ゆい9ヶ月フォーク






この時期、いとこのお姉ちゃんが出産した。
私の出産の日に病院に駆け付けてくれた、姉妹同然のいとこ。

実家同士は歩いて一歩の距離だから、本当に小さいときからいっつも遊んでもらってた。


産後、実家にいたときも自分のアパートから毎日のように来てくれて、
ひなとゆいのお世話を手伝ってくれた恩人。

ひなとゆいもこのいとこのお姉ちゃんが大好き!

私も大好き。

だから、このいとこの出産はなんか感動がひとしおだった出来事。
そして産まれた赤ちゃんは、「え?ハーフ??」ってくらいの美男子だった。

1(3).jpg
「ドーモー。デービスデース。」


いとこは、「どーもー。○○(苗字)・デービス・涼月でーす。」なんて
ふざけてミドルネームを付けている。
パパは、純日本人のお顔。外国だったら韓国にはいそうではあるけれど。
私のいとこのママは、目はぱっちりしてるけど、こんなにハーフ風ではない。

親戚の間では、「鼻はパパだ」とか、「まゆがママだ」とか
間違い探しならぬ、『あってるとこ探し』。

でも何にしろ、無事、健康に産まれてきてくれたし、
なんといってもすごくかわいいから、オッケー!

涼月(りょうが)と付けられた名前も素敵だね、涼くん!
これからよろしくね。





8ヶ月 

ひなゆい8ヶ月パンツ脱がし事件
「8ヶ月記念写真」



これは、伝説のパンツ脱がし事件。

ひながゆいのズボンを脱がせて、おむつのテープをピロピロしているもの。
ゆいが何とも言えないせつない顔をしている。




ひなゆい8ヶ月プール


私の実家でプールにも入った。
実家は海がとても近いので、じいじが塩水を汲んで来てくれてプールに。
ある意味「海水浴」。
浮かんでいるおもちゃは、友達がプレゼントしてくれた砂場遊びセット。
プールでも大活躍だった。

ちなみにおもちゃを舐めているうちに、海水の塩味に気づいたらしく
もうチュッチュッと口を鳴らして舐めまくり。

ゆい8ヶ月プールひな8ヶ月プール
楽しかったねー。


ゆいがずりばいをマスターした8ヶ月目。
市が運営している子育てサポートセンターにもたくさん通っていた。



7ヶ月 

ひなゆい7ヶ月
「7ヶ月記念写真」


もうじっとしていてくれないから、旦那が二人を固定して撮ったもの。
捕まえられたニワトリ状態。
ちょっと困ってる??



ひな7ヶ月 寝返り


寝返りもすっかり上手になって、ニッコリ笑ってるひな。
それはそうと、髪。
結構長さが出てきたのに、一向に垂れる気配のない髪。
だから、1枚目の写真みたいに結ばなくても目には入らなかったのだけれど、
あんまり威勢のよい髪だったから無理やり結んでた。


ゆい7ヶ月ほっかむり


賛否両論ある歩行器だけど、私は結構乗せてた。
乗せておくと機嫌がよくて、とても重宝した。




ひなゆい7ヶ月 昼寝


真ん中に鏡でも置いたかのような昼寝風景。
こういうとき、「双子だねぇ」って思う。
この寝ござは、寝汗がはんぱじゃない二人に半信半疑で敷いてあげた。
効果はよく分からなかったけど、スヤスヤ寝ていたような気もする。



夏になって、とても暑い日が続いた時期だったのにもかかわらず、
何となく体によくない気がしてクーラーを付けていなかったら、
ゆいの腰にあせもがびっっしり出来た。
ここは雪国のくせに、夏もしっかり暑い地域なので、やっぱりクーラーは
必要だったと反省した。
そこからは適度にクーラーを付け、ちゃっかり私も快適に過ごした夏だった。


それから何年かぶりに高熱を出した私。
たまたま私の母が泊まりに来た日、フラフラになってしまい病院へ。
外は猛烈に蒸し暑いのに、病院に行く時は、寒くて寒くて長袖のスウェットを着こんでたっけ。
母が来たことで張り詰めてた気合が抜けたんだと言われた。

でもそんなに毎日が苦ではなかったんだけどなー。





6ヶ月 

ひなゆい6ヶ月


「6ヶ月記念写真」


旦那作「うし。」
旦那はこんなことが大得意。
こそっとやって、一人で笑ってから私に「見て見てー」と
言ってくる。
何でもかぶせる。



「パパと似てるかな」
snap_miffio1210_200915174450.jpg

ゆい6ヶ月 トイレのいす


これはトイレの椅子。
トイレの個室についてる子供用の椅子に座らせてみたら
ごらんの表情。
「へへん。どんなもんだい!」って思ってんでしょ。
なんかセリフが古臭いけど、そんな古臭い表情なゆい。




ひな6ヶ月ヘルメット


こちらは困惑気味のひな





①-1 (213)①-1 (212)


これは完全に親の悪ふざけ。
かぶって、写真とって、売り場に戻してきたもの。
ほんとに手が悪い。

ひな6ヶ月ミミゆい6ヶ月ミミ



もひとつおまけに悪ふざけ。



6ヶ月になって離乳食を始めたけれど、全く受け付けてくれなかった。
こんなに嫌がるんだ・・・と私が撃沈していた頃。
でもなんとかパン粥だけは食べてくれて、「パン粥最強説だね」って言ってた。

それからゆいが寝返り成功。続けてひなもできるように。
7ヶ月に限りなく近かった初寝返り。

5ヶ月 

ひなゆい5ヶ月


「5ヶ月記念写真」


「今日5月29日だけど、なんかの日?」
といいたげな写真。
嘘っぱちの写真。
なかなか撮らないで月日は過ぎてた。
もう6ヶ月に入ろうという二人を並べて、5月10日の「5ヶ月記念写真」




ひなゆい5ヶ月 新首上げ


二人とも首がしっかり持ち上げられるように。




「家族で公園へ」
hinayui5kagetupapatokouenn.jpghina5kagetu-mamatokouen.jpg

ひな5ヶ月 キャミゆい5ヶ月 キャミ



このむちむちボディ。
初めて肌着にキャミソールを着せたら、旦那大爆笑。
「これは絶対写真撮んなきゃだめだろー」というもの。


うちは転勤族だから、2・3年に一回は引越しをする。
どちらかの実家のあたりなら親も親戚も友達もいるから、心細くないけど、
今の住まいは、どちらもそこそこ遠い。
「お友達ほしーな。」と思っても、専業主婦の私には出会いがなかった。
と思ってた。

でもこの頃、近くのショッピングセンターに買い物に行って、そこの授乳室で
とっても気さくに声をかけてくれた方々がいて、お友達になった。
なんかうれしい出来事。
その他、子育てサポートセンターでもママ友が出来た。
きっとうちが双子で、めずらしいから話しかけやすかったのかも。

ひなとゆいのおかげだね。
ありがと。


4ヶ月 
画像  1 (225)
四ヶ月の記念写真。
苦労なく二人そろえて写真を撮れるのもこの頃まで。


画像  1 (231)
実家の近くの神社へお宮参りへ。
本来はもっと早くするべきなんだろうけど、
暖かくなってからとこの時期に。


そしてとうとう実家をでて、4人の生活を始める。
もう不安で仕方なかったけど、思い切って新しい生活に踏み出した。


画像  1 (253)
もう、ばぁばはいないから自立してね、とマグを練習させられるゆい。


ゆい4ヶ月 パパとミルク
この旦那の笑顔。
これは、ゆいが初めて哺乳瓶を持った!と笑っているものだけど、
旦那はきっとこの4人の生活を楽しみに楽しみにしていたに違いない。


ゆい4ヶ月 くのいち
知り合いの双子ママにもらったお下がり。
「一回も着なかったから~」といただいたGAPのかわいいつなぎ。
でも、うちのこ、まん丸だからきつきつでした。
ゆい、ピチピチの服着て笑ってるけど、まるでくのいち。


すごく不安だった4人の生活。
私一人でチビのお世話に家事、できるかしらと思っていたけど
そういやうちには旦那がいた。
家事もすごく協力してくれたし、夜中のミルクも私が気づかない内に
あげてくれていた。
「家事なんてできる範囲で良いよ」と言ってくれて、
「はい、そうします。」と素直にしたがっていたら
生活はなんとかなってた。

なーんだ、一人じゃないじゃんと気楽になったものだった。
旦那に感謝。
3ヶ月 
ひなゆい3ヶ月
すごくびっとしている写真。
ゆいの顔がなんか大人びてる。


画像  1 (146)
ひな祭りがあったので、私の母に買ってもらった着物を羽織って。
ひなは「あ?」
ゆいは舐めようとして、この後すぐに脱がされる。


ひな3ヶ月食い初め
お食い初め。
鯛を舐めさせられたヒナは「うえ。なんじゃこりゃ。」って感じ。

ゆい3ヶ月食い初め
一方ゆいは、まんざらでもないようだった。


ひなゆい3ヶ月 サンドイッチマン
これは、私たち夫婦の間では「サンドイッチマンの写真」と
呼んでいるもの。
こんなのあったよね??



12月に生まれた二人は外が寒いと言う事もあって、この三ヶ月になって
初めて買い物などで外に出た。(病院には行っていたけど。)
双子を連れていると、こんなにも知らない人に話しかけられるのかと
初めて知ったのだった。

2ヶ月 
ひなゆい2ヶ月
ひながこんな顔しているのには、訳があった。

ひな2ヶ月 寝ている大
「ぐー。」
眠くて写真なんて撮られている場合ではない。
隣のキメ顔のゆいが際立つ。

ひな2ヶ月 つつかれている
「おーい。」
つついても呼んでも起きない。

ひな2が月 ソファ
「ぐー。」



この2ヶ月の時期、ひなが入院した。
鼻づまりが原因で。

鼻が詰まっていてなんだか息苦しそうだったので、病院に連れて行くと
「結構がんばって呼吸してますね。」とのことだった。
鼻から細いチューブを差込み、喉まで行ったらタンと鼻水をズズーッと
吸いながら抜いていく、そんな治療を夜中もしたほうがいいということで入院に。

私も付き添いで一緒に泊まり、5日ほどで病状がよくなったので退院。
「ひなせちゃんはヘモグロビンが少ないようだね。ま、離乳食始まったら
解消するでしょう。」
というおまけまで付いてきた。

でも、あんなに小さい体で、点滴やら注射やら、見ていてかわいそうだった。
ほんとうに代わってあげたいと思った。
たかが鼻づまり、されど鼻づまり。
1ヶ月 
                   画像  1 (59)

                          一ヶ月記念写真

この頃からひなせは、「ひな」と呼ばれて、誰からも「せ」の存在は忘れられていた。
ゆいなんて、ひどい事に、結構多くの親戚から「もえちゃん」と呼ばれた。
原型がない・・・もえちゃんって一体誰?!



                    ひなゆい1ヶ月
                     パパのひざの上で並んで眠るふたり。
                     伸び伸びしてるほうがゆい。


                    画像  1 (60)

                        なんかそら豆風。ひな。


                    ゆい1ヶ月

                        なんかTKO木下風。ゆい。


この頃の私は、まだ実家にいたが寝不足で夢遊してした。

夜中に、隣で寝ていたひなを突然抱き上げ、リビングに行き、ソファに座り、
何にも飲ませちゃいないのにゲップさせようと背中をさすったり、
同じく夜中に台所にミルクを作りに行って、寝室に戻ってきて、さて飲ませようと思ったら
白湯だったり。(熱いやつをちゃんと適温に冷ましてる)
とにかく「はっ!」と気づくのが遅い。
白湯なんて、歩いて、水出して、飲ませるとこまでいってやっと気づいていた。

その時私たちと一緒に寝てくれていた母は、「あ、孫だけじゃなくて、娘の世話も
しなくちゃいけない、私。」と思ったという。  

0ヶ月 
ひな0ヶ月    ゆい0ヶ月

            陽生                      結生

《陽生・ひなせ》

太陽のように明るく、ひながいれば周りのみんなも温かい気持ちになれる、そんな子になってほしい。


《結生・ゆい》

家族や友達、その他、これからあなたが出会うであろう、たくさんのかけがえのない人たちとの結びつきを大切にする、そんな子になってほしい。
出産当日のこと 
2007年12月10日

その日は、前日までの雪が嘘のように晴れて、快晴そのものだった。

手術室に行く前、病室で「あーこのお腹ともお別れかぁ」なんて
思う事も全くなく、「早くこの重いお腹と入院生活から開放されたーい!」と
思っていた。

ほんとの予定日は1月10日。
でも病院の方針で双子の出産は37週をめどに、と言われており、
当初の手術予定日12月18日。
でもでも予想外に赤ちゃんたちが大きくなってきたため、それを繰り上げて
10日に変更になった。
超音波でみたところの予想体重が、2500g・2700g。
先生方は何度もカルテを見返し、「予定日間違ってないよねぇ」と
口々に言っていた。

私の身長は154cmと小柄だったことから、きっと赤ちゃんも小さくて、
あんまり大きくなるとお母さんの体の方で赤ちゃんを保ちきれなくて
破水とかする可能性もある、と言われていた。
しかし、みるみる大きくなったお腹と赤ちゃん。
病室のみんなが「でっかいよねー」と言っていた私のお腹。
体が小さいのに、でっかいお腹。
お腹が歩いてるみたいだったようだ。



そして産まれた赤ちゃんたち。

出生体重2804gの陽生。
出生体重3102gの結生。

先生もびっくりのジャンボベビーだった。
「スーパー胎盤」とまで言われ、なんか誇らしげな私。
ちなみに妊娠35週と4日。

子宮が伸びきっていたみたいで、早めに出して良かったと言われる。

私は、子供たちの顔を見て
「あー、あたしのお腹の中に本当に人間が入っていたんだぁ」
なんて思っていた。
感動と言うより、生命の不思議に触れた気分。


2階の手術室で取り上げられた赤ちゃんは、4階の新生児室まで
なんと看護師さんが階段で運んでいく。
その4階のロビーで、新生児室に運ばれていく赤ちゃんを見ようと、
旦那と私の両親と、私のいとこのおねえちゃんと、同じ病室のみなさんが
待ち構えていた。

そこへ看護師さんに抱っこされた陽生が登場。
旦那号泣。
「ほら!もう一人来んだから!」と私の両親に言われ、気を取り戻、
せない旦那。
結生が続けて来た時のことは、「あんましよくわかんねーんだよなー」という。

とにかくみんな感動したらしい。


みんなに望まれて生まれてきた双子たち。
幸せもんだよ、君たち。


   陽生誕生 大

   陽生


   結生誕生 大
 
   結生


ちなみに誕生直後極度の低血糖の為、点滴されてました。






入院仲間のSさん 
入院して一週間頃から、向かいのベッドのSさんとよく話すように。
彼女も双子ちゃんを妊娠しているため管理入院していうという。
なんでも学校の先生をしていたというが、「先生がそんなんでいいの?!」
ってくらいアバウトな人。
見た目だけ善良な先生。
話すととってもおもしろくて、大好きになった。

彼女は私より2週間早く帝王切開をして、男の子ツインズのママになった。
産むまで性別は聞かない、という旦那様の意向を尊重してるふりして、
こっそり先生に性別を聞こうとしていたが、チビちゃん達も「教えなーい」
とばかりに超音波写真にはそっぽを向いていたらしい。
「もし男の子二人だったら、やんちゃで大変なんじゃなーい??」
と毎日のように私はからかっていた。
そうすると彼女は「やめて!そんな怖い事!」と決まり文句のように
言っていたけど、結局二人とも男の子。

手術直後、旦那様がSさんに「男の子だったね」と言ったら
「だと思った。」と答えたと言う。
だと思ってたんだ!とまたしても笑わせてもらった。

旦那様のお母さんは、なぜか女の子だと決めていたらしく、
チビちゃん退院用にリボンたっぷり、フリルたっぷりの
セレモニードレスを用意していてくれていたらしい。
でも赤ちゃんは何着てもかわいいからいいよね、なんて思っていたら
Sさんは「フリルもリボンも取って着せたわよ!」と後日言っていた。
取り外し可能だったんだね。

そのSさんのすごいところは、手術の次の日、点滴を引っ張って
普通ーにスタスタと歩いていたところだ。
「※※さん!なーんにも痛くないから。手術なんでひっとつも怖くないよー」
と私に言ってきた。
「でもこの点滴がなくなったら、傷とか後陣痛とか痛みが来るのかも。」
なんて弱気なことも言っていたけど、大丈夫、
それ抗生剤だから。痛み止めじゃないから。

そのSさんちの男の子ツインズは、予想を裏切ることなく、とーっても
やんちゃに育っている。
この間、久しぶりにうちの実家で再会したときなんて、
籠の中のみかんを後ろ手でポイーンポイーンと投げていた。
それを「こらっ!やめなさい!」と言いながら見事にキャッチするSさん。
ただただ「すげー。」と関心するばかりだった。

毎日疲れるとは言っていたけど、やっぱり幸せそうで、
男だろうが女だろうがそんなの関係ないんだよね、って思った。
管理入院 
妊娠8ヶ月に入ったとき、病院で検診したら張りが強いのでそろそろ
入院いちゃいましょう、と言われた。
私、普段はとっても健康体。入院なんてしたことがなかったので
ちょっとワクワクしてしまった。

その二日後、旅行気分で念願の入院をし、そのまた二日後、もう飽きてた。
お腹の張りはベッドにゴロゴロしてるだけじゃ出てこないし、
6人部屋だったけどまだ話し相手もいなかったし。

入院して1週間した頃、日中看護師さんがお腹の張りを調べるモニターを取り付けるのに
てごずって、30分近く同じ姿勢でいたら、その日の夜、
ものすごくお腹が張ってしまい、そこから24時間ウテメリン点滴に。
あれの生活はすごく不便だったなー。

その頃から、向かいのベッドのSさんとよく話すように。
彼女も双子ちゃんを妊娠しているため管理入院していうという。
なんでも学校の先生をしていたというが、「先生がそんなんでいいの?!」
ってくらいアバウトな人。
見た目だけ善良な先生。
話すととってもおもしろくて、大好きになった。

彼女は私より2週間早く帝王切開をして、男の子ツインズのママになった。
産むまで性別は聞かない、という旦那様の意向を尊重してるふりして、
こっそり先生に性別を聞こうとしていたが、チビちゃん達も「教えなーい」
とばかりに超音波写真にはそっぽを向いていたらしい。
「もし男の子二人だったら、やんちゃで大変なんじゃなーい??」
と毎日のように私はからかっていた。
そうすると彼女は「やめて!そんな怖い事!」と決まり文句のように
言っていたけど、結局二人とも男の子。

妊娠中の生活 
最初のドタバタとは打って変わって、妊娠中は割と平々凡々と過ごしていた。

妊娠2ヶ月から実家にいたので、家事をするでもなく、一日中のんびりと
していたが、私は太りやすい体質なので一日2回のウォーキングだけは
欠かさなかった。

朝5:00に起きて父の早朝ウォーキングに付いていき、実家のすぐそばの海岸を
朝日を見ながら歩いていた。

早朝なのに、海岸にはウォーキングをしている人が結構いて、父にはライバルが
いた。
その彼は、明らかに父より20歳くらい若く、長い足でグングンと進んでいく。
特に知り合いというわけではなく、すれ違うとよそ行きの笑顔で挨拶をする程度。
しかし、その彼とすれ違った瞬間に父の歩幅は広がり、背筋は伸び、スピードは
倍速になる。
ちなみに父の身長は163cm、足も短く、お腹も出ている。
典型的な日本のおっちゃん。こち亀の両さんみたいな体系。
その短い足がパタパタとすばやく動く動く。
「お父さん、足の長さ違うから。」
と何回も教えても負けず嫌いは治らなかった。

一方私は妊婦。しかも双子の。
妊娠中期あたりから結構お腹が張ることがあったから、父のウォーキング魂に
付いていけなくなり、朝のウォーキングは止めた。

夕方だけ家の周りをうろうろする程度にし、それでもお腹は頻繁に張って
妊娠7ヶ月くらいで、腰も痛くなってきたので完全にやめた。

で、なぜか父もやめちゃった。



妊娠が分かった時のこと 
旦那の両親からの電話は、次のような内容だった。

「今回は※※ちゃんが信用して決めてた病院だろうから、
とってもいい病院なんだろうけど、やっぱりもう一回大きな病院で
診てもらえない?」

実は、病院から出た時以外にも旦那から電話は来ており、
「やっぱり大きい病院でもう一回診てもらわない?」
という話は出ていたのだが、
いろんなことを考えて頭がグチャグチャになっていた私は、
「もうほっといてよ!!」と旦那に八つ当たりして、聞く耳を持たなかった。
今も変わらないが、ほんとにダメな性格だ。

ところが、今度は相手が違う。旦那の両親だ。
「もういいんです。今回の妊娠は諦めますから。」と落ち着いた振りをして
やんわり断っていたが、
「これは、私たちのわがままだと思って、お願いだからもう一回大きい病院に行ってちょうだい。」
とまで言われてしまっては、さすがに断れなくなってしまった。
私も嫁である。
「はい。」
と行って、さらにもう一つ大きな病院へ受診しに行く事にした。
その日に、さっきの個人病院の先生に紹介状を書いてもらい後日、
”県内のハイリスク双子はだいたいウチ。”
という病院に行った。

その日は、私を心配した母が付き添ってくれた。
私は問診のときに、暗い顔で「なんか難しい双子のようです。」といい、
内診台に乗った。
そこで先生は
「あー。胎盤は一つだけど、お部屋はちゃんと分かれてるねー。このケースは結構あるよ。」
と信じられないことを言った。
「え?じゃあ。」と私。
「決してリスクは低いとは言えないけど、ここで諦めるようなケースじゃないよ。
ただ、産むのはやっぱりウチのほうが良いからこれから二週間に1回経過も見せてもらうようになるね。県外のようだけど移動とか考えたらご実家にいてもらったほうがいいなー。
旦那さん、大丈夫??」

もう悪いけど旦那なんてどうでもよかった。
受診して良かったと心の底から思った。
しかし浮ついた心の私に先生はこう言った。
「リスクがないわけじゃないよ。でもね、そのリスクさえ怖がってたらお母さんになんてなれないよ。
双子でも単児でもみーんな必ずリスクは伴うんだから。」
そうか、そうだよなぁ。
みんな子供を授かった人は赤ちゃんが産まれるまで喜びと不安が入り混じってるんだ。
なんだかここ数日、自分の世界に閉じこもっていたのが恥ずかしくなった。

診察後、先生が母と私にこれからの流れを説明してくれて、大体37週位で
帝王切開することが分かった。
母は、まだ少し不安そうな顔をしていたけど、双子のばあちゃんになる稀な経験を
楽しみにしているようでもあった。

帰りにラーメンを食べて帰ろうということになり、そのラーメン屋から今回の内容を
旦那にメールした。
昼休みだった旦那はすぐに電話をくれて、電話口で泣いていた。
そして、「だから俺は大きい病院行けって言ったじゃん!」と文句を言い始めた。
「だから行ったじゃん。」と私が言うと、「俺じゃなくて、うちの親が言ったからだろ!」
とか、「お前は人の話を全然きかない」とかなんとか言ってきたけど、すべて
「え?」と言って聞き流し、「あ、あと病院通うから産むまでこっちいるねー。」
と言って電話を切った。
妊娠が分かった時のこと② 
実家の誰にも伝えず帰省した私を見て、仕事から帰っていた父はたいそう驚いていた。
嫁に行った娘が、荷物を抱えて、おまけに深刻な顔までして
突然玄関に立っていたらそりゃあ「出戻り?!」と思うはずだ。

父に一通り説明して、誤解が解けた所で、仕事から帰ってくる母を車で迎えに行った。
母には一応、病院帰りに事情を説明していたし、
「こっちの先生にも診てもらいなさい。」と言っていたので、平気かなと思っていたら
結局驚かれた。
まさかこんなに即日帰ってくるとは思いもしなかったようだ。
私の行動力をなめちゃいかんのです。

でもこの家族の驚いた顔が、おかしくて、一人で不安に押しつぶされそうだった心が
フッと安らいだのを覚えている。

そして次の日、出産予定に決めていた個人病院へ向かった。
結果は、「やっぱり双子で、リスクの高い出産になるだろう」ということだった。
その先生は、こうも続けた。
「このタイプの双子ちゃんは、一絨毛性一羊膜っていって、出産に当たって
赤ちゃんにかかるリスクは2倍、お母さんにかかるリスクは4倍以上だよ。
そして、産まれてくる赤ちゃんが万が一どんな状態だろうとそれを受け止める強い意志が必要なんだ。もし、それでも産もうと思うのなら、うちではできないから、大きな病院に紹介状書くから。
でも、年齢的に次の妊娠の可能性はまだまだあるし、分かってるリスクを考えたら今回は
諦めるっていう選択も決して悪い事じゃないよ。」と。

私は不安で不安で涙をこらえるのに必死だった。
そして病院から実家に帰る前に、旦那に電話をして、相談した。
もう声を聞いたらこらえていた涙が一気にあふれてしまったので
旦那は事態を把握したように「今回は諦めよう」と言い、
私は「ごめん。」と繰り返した。
この「ごめん。」はせっかく楽しみにしてた赤ちゃん産まなくてごめん、だったのか、
お腹の中の赤ちゃんに産まなくてごめん、だったのか、自分でも分からなかった。

このときの私は、出産や双子にまったく無知で一絨毛性一羊膜でも元気に産まれてくる
子がたくさんいるのも知らなかったし、先生の言う『どんな状態』でも育てる覚悟と
いうものは正直なかった。
今思えば、「命の選択」をしてしまっていたのかもしれない。

それに人の母というものは、自分の身を投げ打ってでも子供を守るもの、
と勝手にイメージしていた私にとって、自分のリスクを考えて子供を犠牲にするという行為は
母になる資格がないような気さえしていた。

その日はさすがに泣いた。
この歳になって人前で泣くことなんてそうそうなかったが、実家の家族の前で
思いっきり泣いた。


そして、「あー、楽しみにしてた旦那の両親にも電話しなきゃ。」と思い、
電話でこれまでの流れを話すと、納得してくれた。
私はほぼ放心状態でぼーっとしていると、今度は旦那の両親から電話が入った。

この一本の電話がまたしても私の運命を変えたのだった。


③に続く。
妊娠が分かった時のこと① 
結婚して半年、子供が欲しいなぁと思っていたところで
妊娠検査薬の陽性反応が出た。
ウキウキ気分で旦那と近くの婦人科に行き、妊娠の確約(?)を
もらったが、その日は「切迫流産」の疑いということでお尻に注射
をされた。
注射のとき、看護婦さんが「どっちのお尻がいいですか?」と
わりと真面目に聞いてきたので、笑ってしまった。
そして、「どっちでもいいです。」と答えた。

次の週、経過をみるためにまた病院へ。
やっぱりお尻に注射。
やっぱり「どっちでもいいです。」
そんなに重要な質問っ?!

またまた次の週、病院へ。
そこで私の人生を変えるハプニングが発見される。

内診を終えた先生がエコー写真を見ながら
「えーっとね、こことここ。双子なんだね。」
と淡々と言い放った。
私はあまりの衝撃に「え?」としか言えなかった。
そして次の一瞬で、育児に対する不安がドドドーと押し寄せて、
なんと手が震えだしてしまった。
そんな私に淡々先生は、ニヤッと笑った気がする。
でもそんな先生が真剣な顔つきで一冊の本を取り出してきて、ページをめくり
私に説明を始めた。

「※※さんの場合の双子はね、ちょっと珍しいタイプかもしれない。」
私の心の声(え~!)、でも言葉は出ず。
先生の話によると、「胎盤も、羊膜も一つのリスクの高い双子」かもしれないと
いうことだった。
「また来週きてね」と言われ、帰路につき、お昼休みの旦那に電話。

双子だったことを知らせると喜びのあまり、大爆笑した旦那。
で、この話には続きがあるんだよ、と説明すると
「里帰り出産するんだから実家の方の先生にも診てもらったら?」
と提案してくれて、私はすぐに新幹線意乗り、実家に帰った。
こういう時の行動力はかなりいい私。
その日、旦那は私のことと、赤ちゃんのことが心配になり、電話をする前まで食べかけていた
お弁当を残してきたらしい。

②へ続く。
我が家のメンバー 
きぃ
1979年7月生まれ
家事・育児すべて手抜きしてます。
友達に「ダルビッシュ似」と言われるものの
純日本人。


旦那
1980年11月生まれ
一言で言えば「お調子者。」
もう一言付け加えるとしたら「三枚目。」
子供が大好きで、娘たちに囲まれると
とても幸せそうな顔をする。
家事も手伝ってくれる優しいパパ。


陽生(ひなせ)
2007年12月10日生まれ
妊娠35週4日、帝王切開で誕生。
出生体重 2804g
我が家の長女。


結生(ゆい)
2007年12月10日生まれ
妊娠35週4日、帝王切開で誕生。
出生体重 3102g
我が家の次女。
はじめまして。 
我が家の双子が産まれてから早一年。
最初ははりきって書いていた育児ノートも忙しさにかまけて
空白が目立つように・・・

そこで心機一転!ブログにして記録を残そうと思いました。
なにぶんパソコンに関して超初心者ですので、お見苦しい点がございましたら
申し訳ありません!!

題名の”わたあめ”は旦那が何気なく言った一言、
「チビ達の頭ってわたあめみてーな匂いするよな」
ってとこから付けました。
ふわふわで甘くて、なんかイメージにぴったり。

日々のどたばたした育児と、ちょっとした出来事をできる範囲で
書いていきます。

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