<一部変更>わたあめ日記へようこそ!
2010年12月以降のブログについてみなさまへのお願いを《コチラ》に書きましたので
どうぞお読みください。準備が出来次第お返事させていただきます!
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入院仲間のSさん 
入院して一週間頃から、向かいのベッドのSさんとよく話すように。
彼女も双子ちゃんを妊娠しているため管理入院していうという。
なんでも学校の先生をしていたというが、「先生がそんなんでいいの?!」
ってくらいアバウトな人。
見た目だけ善良な先生。
話すととってもおもしろくて、大好きになった。

彼女は私より2週間早く帝王切開をして、男の子ツインズのママになった。
産むまで性別は聞かない、という旦那様の意向を尊重してるふりして、
こっそり先生に性別を聞こうとしていたが、チビちゃん達も「教えなーい」
とばかりに超音波写真にはそっぽを向いていたらしい。
「もし男の子二人だったら、やんちゃで大変なんじゃなーい??」
と毎日のように私はからかっていた。
そうすると彼女は「やめて!そんな怖い事!」と決まり文句のように
言っていたけど、結局二人とも男の子。

手術直後、旦那様がSさんに「男の子だったね」と言ったら
「だと思った。」と答えたと言う。
だと思ってたんだ!とまたしても笑わせてもらった。

旦那様のお母さんは、なぜか女の子だと決めていたらしく、
チビちゃん退院用にリボンたっぷり、フリルたっぷりの
セレモニードレスを用意していてくれていたらしい。
でも赤ちゃんは何着てもかわいいからいいよね、なんて思っていたら
Sさんは「フリルもリボンも取って着せたわよ!」と後日言っていた。
取り外し可能だったんだね。

そのSさんのすごいところは、手術の次の日、点滴を引っ張って
普通ーにスタスタと歩いていたところだ。
「※※さん!なーんにも痛くないから。手術なんでひっとつも怖くないよー」
と私に言ってきた。
「でもこの点滴がなくなったら、傷とか後陣痛とか痛みが来るのかも。」
なんて弱気なことも言っていたけど、大丈夫、
それ抗生剤だから。痛み止めじゃないから。

そのSさんちの男の子ツインズは、予想を裏切ることなく、とーっても
やんちゃに育っている。
この間、久しぶりにうちの実家で再会したときなんて、
籠の中のみかんを後ろ手でポイーンポイーンと投げていた。
それを「こらっ!やめなさい!」と言いながら見事にキャッチするSさん。
ただただ「すげー。」と関心するばかりだった。

毎日疲れるとは言っていたけど、やっぱり幸せそうで、
男だろうが女だろうがそんなの関係ないんだよね、って思った。
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管理入院 
妊娠8ヶ月に入ったとき、病院で検診したら張りが強いのでそろそろ
入院いちゃいましょう、と言われた。
私、普段はとっても健康体。入院なんてしたことがなかったので
ちょっとワクワクしてしまった。

その二日後、旅行気分で念願の入院をし、そのまた二日後、もう飽きてた。
お腹の張りはベッドにゴロゴロしてるだけじゃ出てこないし、
6人部屋だったけどまだ話し相手もいなかったし。

入院して1週間した頃、日中看護師さんがお腹の張りを調べるモニターを取り付けるのに
てごずって、30分近く同じ姿勢でいたら、その日の夜、
ものすごくお腹が張ってしまい、そこから24時間ウテメリン点滴に。
あれの生活はすごく不便だったなー。

その頃から、向かいのベッドのSさんとよく話すように。
彼女も双子ちゃんを妊娠しているため管理入院していうという。
なんでも学校の先生をしていたというが、「先生がそんなんでいいの?!」
ってくらいアバウトな人。
見た目だけ善良な先生。
話すととってもおもしろくて、大好きになった。

彼女は私より2週間早く帝王切開をして、男の子ツインズのママになった。
産むまで性別は聞かない、という旦那様の意向を尊重してるふりして、
こっそり先生に性別を聞こうとしていたが、チビちゃん達も「教えなーい」
とばかりに超音波写真にはそっぽを向いていたらしい。
「もし男の子二人だったら、やんちゃで大変なんじゃなーい??」
と毎日のように私はからかっていた。
そうすると彼女は「やめて!そんな怖い事!」と決まり文句のように
言っていたけど、結局二人とも男の子。

妊娠中の生活 
最初のドタバタとは打って変わって、妊娠中は割と平々凡々と過ごしていた。

妊娠2ヶ月から実家にいたので、家事をするでもなく、一日中のんびりと
していたが、私は太りやすい体質なので一日2回のウォーキングだけは
欠かさなかった。

朝5:00に起きて父の早朝ウォーキングに付いていき、実家のすぐそばの海岸を
朝日を見ながら歩いていた。

早朝なのに、海岸にはウォーキングをしている人が結構いて、父にはライバルが
いた。
その彼は、明らかに父より20歳くらい若く、長い足でグングンと進んでいく。
特に知り合いというわけではなく、すれ違うとよそ行きの笑顔で挨拶をする程度。
しかし、その彼とすれ違った瞬間に父の歩幅は広がり、背筋は伸び、スピードは
倍速になる。
ちなみに父の身長は163cm、足も短く、お腹も出ている。
典型的な日本のおっちゃん。こち亀の両さんみたいな体系。
その短い足がパタパタとすばやく動く動く。
「お父さん、足の長さ違うから。」
と何回も教えても負けず嫌いは治らなかった。

一方私は妊婦。しかも双子の。
妊娠中期あたりから結構お腹が張ることがあったから、父のウォーキング魂に
付いていけなくなり、朝のウォーキングは止めた。

夕方だけ家の周りをうろうろする程度にし、それでもお腹は頻繁に張って
妊娠7ヶ月くらいで、腰も痛くなってきたので完全にやめた。

で、なぜか父もやめちゃった。



妊娠が分かった時のこと 
旦那の両親からの電話は、次のような内容だった。

「今回は※※ちゃんが信用して決めてた病院だろうから、
とってもいい病院なんだろうけど、やっぱりもう一回大きな病院で
診てもらえない?」

実は、病院から出た時以外にも旦那から電話は来ており、
「やっぱり大きい病院でもう一回診てもらわない?」
という話は出ていたのだが、
いろんなことを考えて頭がグチャグチャになっていた私は、
「もうほっといてよ!!」と旦那に八つ当たりして、聞く耳を持たなかった。
今も変わらないが、ほんとにダメな性格だ。

ところが、今度は相手が違う。旦那の両親だ。
「もういいんです。今回の妊娠は諦めますから。」と落ち着いた振りをして
やんわり断っていたが、
「これは、私たちのわがままだと思って、お願いだからもう一回大きい病院に行ってちょうだい。」
とまで言われてしまっては、さすがに断れなくなってしまった。
私も嫁である。
「はい。」
と行って、さらにもう一つ大きな病院へ受診しに行く事にした。
その日に、さっきの個人病院の先生に紹介状を書いてもらい後日、
”県内のハイリスク双子はだいたいウチ。”
という病院に行った。

その日は、私を心配した母が付き添ってくれた。
私は問診のときに、暗い顔で「なんか難しい双子のようです。」といい、
内診台に乗った。
そこで先生は
「あー。胎盤は一つだけど、お部屋はちゃんと分かれてるねー。このケースは結構あるよ。」
と信じられないことを言った。
「え?じゃあ。」と私。
「決してリスクは低いとは言えないけど、ここで諦めるようなケースじゃないよ。
ただ、産むのはやっぱりウチのほうが良いからこれから二週間に1回経過も見せてもらうようになるね。県外のようだけど移動とか考えたらご実家にいてもらったほうがいいなー。
旦那さん、大丈夫??」

もう悪いけど旦那なんてどうでもよかった。
受診して良かったと心の底から思った。
しかし浮ついた心の私に先生はこう言った。
「リスクがないわけじゃないよ。でもね、そのリスクさえ怖がってたらお母さんになんてなれないよ。
双子でも単児でもみーんな必ずリスクは伴うんだから。」
そうか、そうだよなぁ。
みんな子供を授かった人は赤ちゃんが産まれるまで喜びと不安が入り混じってるんだ。
なんだかここ数日、自分の世界に閉じこもっていたのが恥ずかしくなった。

診察後、先生が母と私にこれからの流れを説明してくれて、大体37週位で
帝王切開することが分かった。
母は、まだ少し不安そうな顔をしていたけど、双子のばあちゃんになる稀な経験を
楽しみにしているようでもあった。

帰りにラーメンを食べて帰ろうということになり、そのラーメン屋から今回の内容を
旦那にメールした。
昼休みだった旦那はすぐに電話をくれて、電話口で泣いていた。
そして、「だから俺は大きい病院行けって言ったじゃん!」と文句を言い始めた。
「だから行ったじゃん。」と私が言うと、「俺じゃなくて、うちの親が言ったからだろ!」
とか、「お前は人の話を全然きかない」とかなんとか言ってきたけど、すべて
「え?」と言って聞き流し、「あ、あと病院通うから産むまでこっちいるねー。」
と言って電話を切った。
妊娠が分かった時のこと② 
実家の誰にも伝えず帰省した私を見て、仕事から帰っていた父はたいそう驚いていた。
嫁に行った娘が、荷物を抱えて、おまけに深刻な顔までして
突然玄関に立っていたらそりゃあ「出戻り?!」と思うはずだ。

父に一通り説明して、誤解が解けた所で、仕事から帰ってくる母を車で迎えに行った。
母には一応、病院帰りに事情を説明していたし、
「こっちの先生にも診てもらいなさい。」と言っていたので、平気かなと思っていたら
結局驚かれた。
まさかこんなに即日帰ってくるとは思いもしなかったようだ。
私の行動力をなめちゃいかんのです。

でもこの家族の驚いた顔が、おかしくて、一人で不安に押しつぶされそうだった心が
フッと安らいだのを覚えている。

そして次の日、出産予定に決めていた個人病院へ向かった。
結果は、「やっぱり双子で、リスクの高い出産になるだろう」ということだった。
その先生は、こうも続けた。
「このタイプの双子ちゃんは、一絨毛性一羊膜っていって、出産に当たって
赤ちゃんにかかるリスクは2倍、お母さんにかかるリスクは4倍以上だよ。
そして、産まれてくる赤ちゃんが万が一どんな状態だろうとそれを受け止める強い意志が必要なんだ。もし、それでも産もうと思うのなら、うちではできないから、大きな病院に紹介状書くから。
でも、年齢的に次の妊娠の可能性はまだまだあるし、分かってるリスクを考えたら今回は
諦めるっていう選択も決して悪い事じゃないよ。」と。

私は不安で不安で涙をこらえるのに必死だった。
そして病院から実家に帰る前に、旦那に電話をして、相談した。
もう声を聞いたらこらえていた涙が一気にあふれてしまったので
旦那は事態を把握したように「今回は諦めよう」と言い、
私は「ごめん。」と繰り返した。
この「ごめん。」はせっかく楽しみにしてた赤ちゃん産まなくてごめん、だったのか、
お腹の中の赤ちゃんに産まなくてごめん、だったのか、自分でも分からなかった。

このときの私は、出産や双子にまったく無知で一絨毛性一羊膜でも元気に産まれてくる
子がたくさんいるのも知らなかったし、先生の言う『どんな状態』でも育てる覚悟と
いうものは正直なかった。
今思えば、「命の選択」をしてしまっていたのかもしれない。

それに人の母というものは、自分の身を投げ打ってでも子供を守るもの、
と勝手にイメージしていた私にとって、自分のリスクを考えて子供を犠牲にするという行為は
母になる資格がないような気さえしていた。

その日はさすがに泣いた。
この歳になって人前で泣くことなんてそうそうなかったが、実家の家族の前で
思いっきり泣いた。


そして、「あー、楽しみにしてた旦那の両親にも電話しなきゃ。」と思い、
電話でこれまでの流れを話すと、納得してくれた。
私はほぼ放心状態でぼーっとしていると、今度は旦那の両親から電話が入った。

この一本の電話がまたしても私の運命を変えたのだった。


③に続く。

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